※13から続いてます 「だから、音楽をいっしょに聴きながら、リトマス試験紙みたいなことをやってましたね。『これ好き』『これ嫌い』『これ好き』って、で『おんなじじゃん、おんなじじゃん、おんなじじゃん』って『やっぱりそう!?』って。ロックンロールがリトマス試験紙になって。ふたりで、ひとりずつレコード・プレーヤーを何時間か担当するんです(笑)。DJやるの。で『次は中野区の真島昌利さんからのリクエストで』とかいって、カシャッとかやって自分でかけるの(笑)。で、かけながら歌詞を朗読したりしてさあ(笑)」 ●(笑)。けっこう青春的なことをやってたわけね。で、最終的なブルーハーツの形っていうのはいつの段階でできるわけ? 「えーと、メンバーが確定したのは次の年かな、ちょうど1年後」 ●じゃあ、それでスタートして、自主制作レコードとかを作り始めたっていうのはいつぐらいなの? 「自主制作っていうのは、初めて作ったのは1985年の暮れです。ブルーハーツ組んだ年なんですよ。その年に“1985”っていう曲を作ったんです。で、それはもうブルーハーツ元年。日本のロック元年だと、僕は、その時もまだ誇大妄想狂だから(笑)。ロックンロールにおける日本代表・ブルーハーツだと思ってたわけですよ。ライブ・ハウスでやってるくせに(笑)。そう思ってたからね、そういう曲を作ったんですよ。で、その曲をもう1985年過ぎたら演奏しないつもりだったんです。で、じゃあ残すんなら今しかないなと思って、録音してソノシートを作ったんです。で1985年の12月25日に、クリスマス・ライブを自分らで企画して、そこでお客さん全員に配ったんです。それが自主制作の最初です」 ●で、ブルーハーツってどうしてつけたの? 「ギャグかなあ。最初はねえ、マーシーとふたりでいつも寝っ転がって天井を見ながらねえ、話をしてたんですよ。で、夜中にちょっとしたことでおかしいと、朝まで笑い続けることってあるでしょう? ああいう感じでねえ、毎晩のようにいろんな話してて。もう曲みできて練習してるのに『おい、バンド名ねーなあ』って、ライブハウスにブッキングしに行くのにどうするんだよっつって。で、みんなが呼びやすい名前をつけなきゃダメだっていう。で、そこには意味とか何にもないんですよ。『こういう願いを込めて名前をつけた』とか名づけ親としての意味は何にもない。〜… ※ヒロトの言葉のまま15に続きます [先頭ページを開く] [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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