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予想外な執務室(JA)
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書類を片手に、とんとんと階段を上る。その先、目に入るのはマルクト帝国軍の将軍を務める男の執務室。アニスはドアノブに手をかけながら、ここに辿り着くまでに何人かの軍人――それも、揃いも揃って第三師団の――にかけられた言葉を思い出す。

“将軍はここ数週間、お疲れで…ぜひ癒して差し上げて下さい”

何があったというんだろう。疑問は解消しないまま、ドアノブを捻った。

「失礼します、将軍」

足を踏み入れた瞬間、鋭い視線を寄越されて、ぎくりとする。…が、赤く光る瞳がアニスの姿を捉えると、それはすぐに和らげられた。

「…貴女でしたか。久しぶりですね、アニス。」


「お久しぶりです、将軍。随分お疲れらしいですね、どーしたんですかぁ?びっくりしますよぅ、来て早々あんな目で見られたら」

「まぁ、いろいろありまして。でも、貴女はやはり気づきましたね、私の視線の違和感に。」

「そりゃ、普通あんだけ殺気こめられたら…気づかない方がおかしいですよ?」

「ですよねぇ…。“普通は”気づきますよねぇ」


ジェイドは眉間を手で抑えると、はぁ、とひとつ溜息をついた。

「あの、本当に大丈夫なんですかぁ?そんなにお疲れなら、もう退散しますよぅ。あ、これ頼まれてた資料です」

「ありがとうございます、いつも助かりますよ。…いえ、貴女は良いんです。貴女と話していると息抜きになりますから、むしろ居てほしいくらいです。自由にかけて下さい、お茶くらいならだせますよ」

“貴女は”?
…では、誰だと駄目なんだろう?

ジェイドの含みのある言い方に疑問をもったが、目の前に高級そうなクッキーが出てきた瞬間にアニスの思考は吹き飛んだのだった。


***


「うっわあ!これ激ウマじゃないですかぁ!」

「喜んでいただけて嬉しいですよ。もうひとつどうです?」

「わあ!いんですか?」

いただきます、とアニスが手を伸ばそうとした瞬間、ふいに部屋の空気が変わった。隣にいる男との付き合いが長いアニスには分かる。部屋の空気が変わった理由は、ジェイドの不機嫌だ。めったなことで感情を崩さないこの男を怒らせると空間の温度が急激に冷えることをアニスは知っている。今の会話の中にジェイドを怒らせるなにかがあっただろうかと、アニスは怪訝そうに彼を見上げた。

「あの、将軍?」

その瞬間、ぐるりと視界が回る。気づけば、ジェイドの手によってソファーに引き倒されていた。そのまま、彼自身もソファーに乗りあがる。

「ちょ、ちょっと将軍!?何考えて…」

起き上がろうとするアニスの肩をジェイドはやんわり抑え、しぃ、とその口元に指を添えた。

「すみませんが、少し話を合わせて下さい。あなたはそこでじっとしているだけでいいですから。」

「え…?」

ジェイドの言葉を理解する前に、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。…が、ジェイドが動く気配はない。

(…ちょっと待って、これでもし扉開けられたりしたらこの如何わしい体制を人に見られる…!ていうかもしかしてそれが目的?)

「カーティス将軍?いらっしゃいませんの?わたくしです。ラヴィエルですわ」

女性の声だ。しかも、どう聞いても媚びているとしか思えない、甘ったるい声。アニスは、ようやくジェイドの目的を悟った。

(げっそりしてた原因はこの女ってことか。将軍が女性相手に苦労してるとか意外すぎるんだけど…まあ、大方邪険にできない貴族の娘とか、そんな感じなんだろうな)


その時、返事を寄越さないジェイドに痺れをきらしたのか、女がゆっくりと扉を開けた。

「カーティス将軍…?……っ!?」


女が息をのむおとが聞こえた。それはそうだろう、扉を開けたら、お目当ての男性が他の女に覆いかぶさっているのだから。驚きを隠せない女へ、ジェイドが侮蔑を含んだ視線を向けた。

「おやおや…無粋ですねぇ。人の部屋に無断で侵入した挙句、情事に水をさすとは。ウォルダン家のご令嬢のすることとは思えませんね」

(うっわあ…えげつない。さすがっていうかなんていうか…)

ジェイドの明らかな拒絶に、女性はわなわなと肩を震わせて勢いよく部屋を出て行った。遠くから、バタバタと遠ざかっていく足音がする。来た時のヒールを鳴らした高慢な歩き方は見るかげもない。
女性がいなくなって部屋はしんと静寂を取り戻す。ようやく、アニスに覆いかぶさったままだったジェイドが身体を起こした。

「…助かりましたよ、アニス。これでもうさすがに現れないでしょう。」

「そりゃそうですよう。あんだけひどい追い返し方したら。これでまたきたらびっくりですって。」


「またきかねない相手だから苦労していたのではないですか。まったく、しつこいにも程があります」

やれやれと肩をすくめたジェイドは、先ほどまで飲んでいた紅茶のカップに口をつける。アニスも、ならうようにカップを手に取った。ぐいとそれを飲み干すと、アニスはぱっと立ち上がる。

「よし、じゃあアニスちゃんもそろそろおいとましますね。もしまたこういう困ったことあったら呼んでください!アニスちゃん、将軍のために大女優になりますよう!」

「ありがとうございます。頼りにしていますよ、アニス。」

ジェイドの笑顔に、てへっと笑い返してからアニスは部屋を出た。




(ーーーーー!もうほんとなんなのあの人いきなり押し倒される方の身にもなれっつーの!あーもー心臓に悪い!将軍のピジョン・ブラッド久しぶりにがっつり覗き込んじゃったよう……!)


部屋の前にしゃがみこんで悶える詠師の姿を、巡回の兵士が不思議そうに眺めていた。


FIN.


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