【ザックラゲ 『ザ・ベスト・オブ?』 (2003)】 @ママ・ミュージック Aマイ・ミュージック B晴れ Cローディー・ママ Dウタマロ E飛ぶ感じ FF#m ボーナストラック Gパンタグラフが (サイモンジョージ&ザックラゲ) 前作「CDR2」 の不評で 宅録にも行き詰まった僕は 2002年には もはや 何もやらない状態になりつつあった。 当時 北九州では 旧い友達が 音楽活動を 頑張ってた。 彼らのバンド 「クララ&ジェファーソン・デイビス」(写真) が ある日 僕を 北九州に 呼んでくれた。 無料の 野外コンサート で 三曲だけ 歌ってみん? かなりびびった末 2003年の1月にコンサートに 出演した。 その後の 食事の席で 旧い友達が もう一人 集まった。 ここでは K君と呼ぼう。 K君も 音楽を始めていた。 そこで クララの メンバーの H君、T君と K君 そして 僕の4人で バンド組もう という話に なった。 ◆ 時は遡る。 1992年 北九州 JR小倉駅の 通路で 当時21才の僕は 独りストリートライブ をやっていた。 その時代は ストリートライブは 下火になっていて 特に北九州では 数少なかった。 まして音楽活動を 始めたばかり の下手くそで 愛想無しの 男の歌など 聴いてくれる人は なかなかいない。 ずっと無視され 営業妨害と通報されヤンキーに絡まれ 心が折れそうに なっていた頃 どこから ともなく現れた 不良高校生が H君であり T君であった。 時を同じくして やはり小倉の街の どこかから ふらっと現れた ピアスだらけの 10代の パンク兼 港湾労働者が K君だった。 結局彼らは ずっと僕を 応援してくれた。 やがて客も増え 黒崎マーカスで 80人集めたライブをしたくらいで 勘違いして 天狗になり 学校を休学して 東京へ 音楽やりに 出て行った 僕を 彼らは 見送ってくれた。 ◆ そういう 僕が 東京で 叩きのめされ 帰ってきて 行き詰まった 姿に 活を入れて やろう! という 気持ちだったのか 三人は バンドをやる話に 盛り上がり 単純な僕は それならやるかと 引き受けて 誕生し わずか 半年間の ライブ活動で 解散したのが この ザックラゲ である(^_^;) (つづく!) [感想を書く] [最新順][古い順] 感想はありません <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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