diary2

2023年5月19日(金)
【5/19 「6・19」を止めた理由 (その5)】
5/19 「6・19を止めた理由(その5)」

「天神」という曲は2012年に作ったんですが内容的には1990年代に5年間東京で音楽活動をして、結局諦めて帰って挫折感に打ちのめされたことについての曲です。

実は福岡では音楽活動を再開するつもりはなくて、ずっとライブハウスにも近寄らないでいました。

むしろそれを守ることで、自分の心が崩壊するのを防ぐというか、それぐらいの決心で東京の音楽活動を諦めたのだから、今更どんな顔してまたライブを再開するのか?という逡巡が5年間くらいありました。

結局曲づくりは続けていたので、誰かの歌詞であるように「やっぱ諦めきれんやった」というやつです。
しかし2006年からまたライブをするようになっても、気持ちの中では、自分が一度レースをリタイアしたのに、それをごまかして別のレースに出場しているような、後ろめたさが、あれから10何年も経つのに未だに拭えません。

いくら自分をごまかそうとしても、過去の自分は常に自分の中からそれを見ているのです。
周りの出演者が本気で歌っているようには、僕には歌えるはずない、それは実は「6・19」を始めるまではつきまとう悩みでした。

「6・19」を始めると、そういう悩みを一旦ちゃらにしなくては、やってられない、ハッタリでもいいので、本気度を見せないと周りの人に来てもらえるイベントなどできない、そういう心境になっていきました。

「6・19」は福岡大空襲というたくさんの人が悲惨な死を迎えた出来事がテーマです。ものすごく重たい歴史であり、僕はその歴史と比較して、あまりに軽い存在であり、無名で無力です。

人によっては、僕が福岡大空襲を伝えるという大義名分を私的に悪用する、知名度を上げるために利用していると見なす、そういうこともありました。

だから僕は「6・19」は僕の個人的な所有物ではないのだと常に表明してきました。そしてかつて存在したように、別のグループによる別の「6・19」があることを許容したり了解すること、またこちらの活動にも理解を求めてもらうこと、を心がけてきました。

理想としては、福岡で活動するアマチュア、プロを問わず、音楽ライブの現場で「6・19」が広がってくれたらいいのに、という気持ちでいました。

周りの人、ずっとイベントを応援してくれていた人たちに、このイベントが続けられる限り福岡に空襲は起こらないよね、なんて話した日もありました。

それは甘すぎる与太話でした。
いつしか僕の住む国は、再び戦争をする国へと着々と変わってきて、その流れはどんどん加速していきました。
「6・19」の存在意義は失われていきました。そんなことない、と言う人は今も周りにいますが、僕はならば、「6・19」に携わる人は今の国の戦争に関する姿勢に断固として抗議、あるいは拒否する姿勢を示していかないとおかしいのではないかと考えます。

しかしどうもこの点において、共感してくれる人がいないというか、同床異夢というか、国の戦争に関する姿勢は評価しつつ、「6・19」は続けるべきというような人々がいます。
僕はそれはむしろ魂を失った、死者への冒涜行為ではないか、なぜならば現在の国の姿勢を認めるということは、次の戦争を許容し、それに協力するということに繋がり、福岡にまた爆撃があることすら想定しなければならないということだからです。

僕はそれは絶対おかしいと思うのです。


5/19^02:46
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