2020年7月5日(日) 【6・19振り返りE】 いつもいつも こんな雑文を書いているときに 思う。アマチュアのことは 本来どう書き、描き表すべきものだろう? 普段はこんな仕事をして 家ではこんな家事をして そういうこと抜きで ミュージシャンだのアーティストだの 書いたものを 皆さんは興ざめする思いで 読まれてるのかもしれない。 僕はやはり風狂なのだろうか。 こんな風にしか書けないのは。 勘違い野郎のベガーズバンケットなのか、これは。 また余談が長くなった。 次は盛富雄司くん(モーリー)。 6/19には 4名の予約のお客さんが 来て下さり、その中に 北九州、折尾の音楽やアートシーンを 支えている人物、山田ツトム氏の 姿もあった。 その山田さんの感想を 伺った時に 「モーリー(盛富くん)が、ようやくわかった!」とまず最初に 仰っていたのが印象に残っている。 盛富くんは自ら「モーリーと呼んでください!」呼びかけて、それが嫌味に感じない人懐っこい部分があるのだが 昨年山田さんのホームタウン 折尾に30年続く名店であり 魔窟でもある (褒め言葉です)二宮勝助氏の 「ブラックホール」 に出演した。 (山田さんもブッキングなどで深く携わっている) 僕やsunnyさん ウエムラくん、Moggyくんの ユニット「武器よさらば」と 一緒だったから 僕ら(山田氏曰く博多組) としては期待の星として モーリーを推していた。 実を言うとその時は 山田さんも、ブラックホールのマスターも「モーリーは、よくわからんなー」という反応が返ってきていた。 マスターは 「アイツなんで英語で歌うんやろ? それに未だなんか一枚被っている みたいな感じがするな」 と 感想を教えてくれた。 でも山田さんには遂に伝わってしまったのだ!モーリーの魅力が。 (なんと次のライブのオファーも既に 決まったそうだ) 素晴らしいアーティストだと思う。 毎回毎回成長している。 もともとオリジナリティがあるのが さらに表現する力をつけていると思う。 二宮マスターがおっしゃっていた点も、ガラッと変わった気がする。 最近モーリーのライブは すごく彼本人の体温や血肉が 伝わってくるものになった。 僕もまだ1年と少しの付き合いではあるが、ライブはもう5本か6本は一緒にやらせてもらったし、僕の二つのイベントにも出演してもらった。 人懐っこい反面、音楽家としてはスタイリッシュである。 シンプルなコードワークが 反復する、アコースティックなロックンロールを貫く。 歌詞はほとんど英語だった。 それもきっと彼にとって意味ある方法論なのだ。僕なりの分析だが 彼はきっと饒舌を嫌う。余分なもの、過度な説明を排する。ストイックな面がある。余計なものをどんどん削ぎ落として、だからあの構造。 それが彼の朗らかなパーソナリティと最初は結びつきにくい、かもしれない。 けれどそれは多分モーリーの中の両面であり、だからモーリーはクールであり、モーリーは熱い純音楽家でもある。そして間で話すモーリーは楽しい。 「6・19」みたいな「音楽の媒体としての力」を前提に開かれているイベントに対してモーリーは最初は戸惑いがあっただろうと推測する。 でも僕はずっとこのイベントを 「let the music speaks」だと思って続けてきた。 もちろん僕や田代くん、ウエムラくんやsunnyさんのように何回も参加している人たちにとっては、だんだんと 深く掘り下げて関わるようなスタンスになるものだけど 僕にとっては初めての人も オファーを受けて出演してくれただけでも、共感とか支持を感じるので ステージ上では やりたいことを自由に表現してほしいと思う。 その中で モーリーは あえて今までのスタイルから 一歩踏み込んで このイベントのテーマや背景を 色々考えたセットリストを組んで ライブをしてくれた。 嬉しかった。 でもまだまだ行ける。 きっとモーリーは もっと深いところまで 行ける、表現できるように なる人だと思う。 ロックンロールの解釈は人それぞれだし、沢山の先人の知恵もあるから アマチュア同士で何が分かるか、と言われたらそれまでなのだが 僕はモーリーに このイベントに誘って 伝えたかったのは ロックンロールは、ブルーズは、フォークミュージックは 世の中の闇も表現することができるものだ、ということだと思う。 具体的な問題に切り込んでいく それを提示するために活かすこともできるし、それは純粋な芸術から 逸脱するものでも、相反するものでもない。それは元から本質的にある要素なんだということか。 7/5^00:49 [コメントする] w友達に教えるw [編集] 無料ホームページ作成は@peps! |