diary2

2023年1月11日(水)
【1/11】
(更新遅くなってすみません。これはライブの翌日に書いていたのですが、同時に2023年の二つの主催のイベントについて開催するか断念するか考えて、一旦開催しない、という結論を出したのです。その辺りの経緯は別項で書きたいと思いますが、8日にBlowin' new soul のマルツカさんと協議して、一転して開催することにしました。
そんな逡巡の時間のせいで、ライブのレポートもアップが遅くなってしまいました。 申し訳ありません。1/11 岡村釦)


新しい年の初めてのライブが終わりました。
(セトリ)
2023.1.07 Blowin' new soul
1 マルタの手(戦争のうた、兵隊のうた)
2 アラート
3 つめたく冷えた月
4 柘榴
5 ワスレナイ
6 自由自治元年

共演していただいたのは
ながたけひさのりand 寛
オザキユミ
中村博光
川上健次郎
(敬称略)
の皆さん

二胡や馬頭琴という
異文化の伝統音楽に自分のオリジナリティを加えた表現活動をする人、
ロックやフォークなどのフォーマットの中で、この時代、この街の暮らしの中から独自の境地の作品を創作してきた人、それぞれが道無き道を選んできたパイオニアだなと感じるライブでした。

僕にとっては、残念ながら目新しい作品の発表や新境地への挑戦はできませんでしたが、既存の作品をどれだけ今現在の自分の心境をこめて表現できるか、とても大事なステージでした。やり終えて、反省もしながら、ライブまでのどうしようもない閉塞感から少し先を見る気持ちが生まれた気がします。
それは何一つ気力が湧かない、現実に打ちのめされて、不安に苛まれ、冷静さを失った状態から浮上できただけで、新しいことを始めるとか、行き詰まりを打破する、というほど劇的に立ち直れてはいません。

それでも昨日のライブは、自分がこれからどういう活動をするのかを表明するステイトメント、あるいは「マニフェスト」のようなものにしたかったのです。
昨日のセットリストはその気持ちを込めて作りました。

30代より以前、組んでいたユニットやバンド時代の曲はなるべくやらないようにしていたので、(それは当時のメンバーたち抜きではやるべきじゃないという気持ちからですが)「マルタの手」はかなり逡巡の末に、取り上げました。
今こそ歌いたい曲であるのは間違いないし、作った当時の嫌な予感がだんだん現実化してしまうぞっとするような状況で、また歌うことになったなという感慨はあります。

昨年12月にガル・コスタの訃報を知って、久しぶりにずっとブラジルの音楽を聴いていました。ライブからの引退を発表したミルトンの最後のライブや、ジョアンやジョビン、カイミなどを、そして10年ぶりの新しいアルバムを出していたカエターノを。

かつてジルを文化大臣に任命した、トロピカリスタたちも支持しているルーラが極右開発独裁政治のボルソナロを破ってまた大統領に返り咲いたのは、日本とブラジルの政治システムの明らかな違い、自浄努力、軌道修正を国民が主体的にできるブラジル人の賢明さを感じました。

「柘榴(ざくろ)」はまだそういう作品に本格的に挑戦する前、試作的に作った曲。マイナーメイジャーセブンスコードを使ってみましたが、後からボッサのコードを知り、そっちがよりきっちりはまるとわかったときは嬉しかったです。
それから数年後、
「つめたく冷えた月」を作ったころには、数曲「ボサノヴァ」的な曲がたまってきて、そこにボサノヴァ的ではない世界観の歌詞を組み合わせてみようとしていたころの作品です。

「つめたく冷えた月」というタイトルは多分映画の題名からです。ブコウスキー原作だったと思います。でも映画とは関係なく、この詞を書いた夜は本当に寒くて月まで冷え切って見えました。そして当時知人が亡くなって、その人が「誰からも必要とされていないと感じる」ことに苦しんでいたことについて考えていました。なんとも言えないやるせない気持ちになり、そこから詞になりました。
人は誰かに必要とされることに喜びを感じる、それは僕も身に覚えのあることです。でもそんな風に感じられる事なんて一度か二度あったか、というほど。現実は常に自分は誰の役にもなってない、必要とされていないというような苦い自己認識の共にあり、それが逆に僕が音楽で表現するときの解放感につながってるような気がしています。社会人や学生としてその空間にうまく適応できない、周囲と調和できない、相手の要求に応じることができない、そんな息苦しさが、一人で音楽を作ったり、弾き語りをする時には、あまり感じない、自分のために音楽をする、というのはそういう意味でもある、この感覚をどう捉えるか、こんな自己満足に甘んじることはだめだ、とあくまでも他者から評価される存在を目指して、それが叶わないとき、絶望するのか、それとも…


この曲について長々と書いてしまいました。2009年くらいに作った曲ですが、こんなに解説したのは初めてなので許してください。

この頃に「6・19」を始めて戦争のことを歌詞に入れ込むことがだんだん増えていきます。
そして2014年からの頓田の森事件のことを扱って独立したイベントになった「トンタの森で会いましょう」

「ワスレナイ」は3つの曲を同時に作ったその一つ。気負って戦争の歴史を自分の主催のイベントのテーマに据えたりすると、冷静になってみて、自信を喪失することが度々あります。
そんな時の精神状態の移り変わりを、曲で表現する三部作。イベントのテーマにするなら真剣にいつも考え続けようとします。
「忘れないように」(ワスレナイ)
「いつまでも憶えている」(オボエテル」
そう気負っていても、日常生活の中で
「忘れてしまう」(ワスレテル)

客席に向かって「忘れないでください」なんて歌ってみても、自分自身の意志も時に裏切ってしまうもの。
僕は
戦争を忘れて、また次の戦争へ向かう
「戦争の間に生きる世代」の人間のひとりだなと思います。

日本は77年間戦争をせずに済んだ理由があり、僕はそれを防いできたのは、抑止力でも憲法でもなく、単に77年前の戦禍のあまりに悲惨すぎる事実が、再び同じような企てをする人々を辛うじて食い止めていただけだと思います。しかしその戒めはついに効力を失くしてきたようです。

昨年から今年にかけて、日本政府が行なってきた、しかも国会での論議も、選挙での国民の審判も経ずに独断で、
防衛力という名目の軍事力の増強と、アメリカ軍に従属して中国との戦争へ向けての道を選んでいること。

こんな政府を受け入れて、行く末を共にしようとしているたくさんの国民。

2014年に「トンタの森で会いましょう」を立ち上げた前後から、国は安保法を成立させてきました。
緊急事態には国民の基本的人権も制限することが事実上可能になってきました。戦前という言葉からまわりでどんどん聞こえるようになりました。

もはやこんな時代に
戦争の歴史を学んでも、手遅れではないか、そんな焦燥が拭えません。
それでもまだ
抗うことを諦めないように
書いた曲が
「自由自治元年」です。



1/11^21:25
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