diary2

2022年8月26日(金)
【8/3(その4)】
北九州平和資料館を訪れた話の更新がずっと止まっていてすみませんでした。
これを書いているのは8/25ですが、たしか公式サイトでは現住所での展示は
今日で終了になるはずです。後ほどまた触れるかもしれませんが、僕が訪問して7月末にお聞きした話では「若松区内の別の場所で移転継続する予定」とのことで、ほっとしました。

さてお話をしてくださった館長さんの小野さん(ひょっとすると館長ではなく世話役的なポジションの方なのかもしれません。しかし少なくともこの平和資料館設立運動の中心にいらした方であるのは間違いないと思います。)

時間をかけてゆっくりとこちらが知りたかった北九州平和資料館についてのお話を聞かせてくださって本当に感謝しております。

まずそもそもの始まりは
戦後50周年であった1995年頃に小倉北区にあった歴史資料館が移転するという話が決まり、移転を機に、かねてから市民の方々が保存を求めていた旧小倉造兵廠の施設跡の整備保存を含めて、新しい形で本格的な平和資料館として設立し、歴史教育や平和教育に役立てていくべきではないかという北九州市に対しての請願運動が始まったわけです。

しかしながら請願はすぐに受け入れられず、年数を重ねて粘り強い運動に発展していく中で、新しい平和資料館の準備室という形で、北九州地区の戦争資料の収集や公開が始まったということでした。

以来約30年経って、今年4月に
「北九州平和のまちミュージアム」として公設の平和資料館が開館したことを持って、一応運動の区切りとして閉館することを考えておられたそうです。

考えてみるとこの間の30年間にわたり、有志の方々の努力と市民からの支援で、私設の資料館として運営を継続してこられたこと、その困難を想起すると、とにかく頭が下がるばかりで、このような粘り強い運動を展開した方々がいたからこそ、北九州市が公設の平和資料館を設立することに繋がった大きな要因になったのではないかと思います。

ひるがえって僕の暮らす福岡市がいまだに市民の方々が要望を続けている
平和資料館の開設を門前払いし続けていることを思うと、福岡市民として情け無いばかりです。

小野さんには、他にも収集してこられた戦争資料が、戦争体験を持つ世代の市民の皆さんから、寄贈された物も多いということを、そしてその内、旧日本軍関連の資料がなぜ現存しているか、についてお話しいただきました。

日本軍は敗戦と共に武装解除され、日本政府が戦後体制に移管すると共に、組織を解体することを命ぜられました。ということは軍需物資も同様に廃棄処分されるということです。
しかし、敗戦直後の市民の暮らしは、生活圏を空襲や核攻撃で破壊され、財産も家財も失った人がたくさん溢れる状況にありました。ですから軍の装備品も市民にとって、生活用品の代わりとして必要なものになっていました。
そんな事情で一般市民の家の衣服や生活用品として軍の装備品が使用されて、それを後に平和資料館に寄贈したという経緯があったそうです。


もう一つ小野さんが力説しておられたこと、それはとても大きい問題て、胸にぐっとくるものでしたが、平和のまちミュージアムが新設されてもなお、北九州平和資料館を存続させなければならないか、その理由でした。
(続きます)


8/26^13:39
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