diary2

2012年8月9日(木)
【「茶番」と言った訳、博多座でやりたいと言った訳】
今日、67回目の
長崎原爆忌にたまたまアップすることになった
6月19日、福岡大空襲忌に
開催したライブイベント
「6・19(5th)」の模様。

ライブ途中のMCで
私は
冷泉公園での福岡市主催
戦災引揚犠牲者慰霊式について
「茶番を見た」と発言しました。
「夏の闇」と「6月19日」という
戦争が巷の人々に強いる恐ろしい暴力について歌った2曲の途中に
発言したので、私は伝わると判断したのですが、やはりちゃんと説明を
しておきたいと思います。

現在、福岡市には福岡大空襲の
痕跡を今に伝える物的な遺物や
慰霊碑はわずかしかありません。
そのわずかな痕跡を保存しようと
したのも行政ではなく、一般市民からの請願によるものです。

故 川口勝彦さんをはじめとして
戦災資料館の建設の請願は
何十年も前から幾度となく
福岡市議会に出されてきました。
最大の悲劇の現場とされる
旧十五銀行博多支店跡
現在の博多座ですが、そこにも
慰霊碑を建立してほしいという
訴えにも
福岡市はいまだに動きを見せません。

歴代の福岡市長は、毎年慰霊式に
出席し、「二度と戦争をくりかえしません。」と言うだけです。
具体的に現代の福岡市民や未来を担う子供たちに、戦災をどう伝えるか
先頭に立ち、ビジョンを明らかにするべきだと思うのですが、それもない。

私が訪れた今年の慰霊式も変わらず
そんな感じで、市長や市議会議長、
地元選出の国会議員の、代理!が
献花する姿をテレビに映し
イメージをアップさせているかのように、式典のほとんどがそれに当てられ、市長の挨拶には福岡大空襲という言葉すら一箇所もありませんでした。
空襲で家族を喪った遺族の方の挨拶は、ほんのわずかな時間でしたが、本来なら、それにこそほとんどの時間をかけ、忘れられていこうとしている、戦災や空襲、引揚の悲惨を
今に生きる福岡市民が知る機会を
作るべきなのに…

西日本新聞の空襲関連取材班の
記者の方も指摘していましたが
行政からの動きが消極的だと
思いました。
その憤りが、茶番という言葉になってしまいました。

田代裕之くんが自らのステージで
私オカムラヒサシが将来「6・19」を
博多座でやりたいと言ったと
紹介してくれましたが、

それも単純に大会場でやりたいということではなく、
このイベントを博多座でやれたら
十五銀行地下室での惨劇を
風化させないようなアピールを
拡げていけるのではないかな、
との思いからの発言でした。



8/9^14:57
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