diary2

2013年11月22日(金)
【自分史を振り返るB】

自分史を振り返るB

「横浜駅西口〜少年のうた〜」



カセットテープ作品
現在ダビングしておりません
A面
@寝れない夜
(島田大作/岡村恒)
A孤独
(岡村恒)
B面
@路上のうた
(岡村恒)
Aメロディ
(島田大作)


「少年のうた」というちょっと恥ずかしい名前のユニット名前を付けた
弾きがたりデュオで活動したのが
1993年の暮れから、1994年の暮れまでです。
恥ずかしいとか書いていますが、名前のアイデアは僕が出したはず。
当時から、相方の島田大作くんと
「中年になったら、中年のうた?
かっこ悪いなあ(>_<)」と自分たちで
茶化していました。

島田大作くんは、僕が初めて中学時代に組んだバンド「ニュー・タコイカズ」の創設者で、高校時代も一緒にバンドをやりました。

しかし高校時代のバンド
「The Roots」が僕のせいで解散して以来、ちょっと距離ができて、

島田も僕も、弾きがたりをやるようになり、彼は先に就職で上京しました。しかし恐らくミュージシャンの
夢は持ち続けていて、僕が93年夏に
上京し、再会した時は既に、
島田は仕事の傍ら、ライブ活動や路上での弾きがたりを活発にやっていました。

仕事場の関係で、彼の活動拠点は
横浜でした。僕は世田谷区代田に
アパートを借りたので、東京でやるつもりでしたが、一人で何回か、渋谷駅、下北沢、吉祥寺などで路上を
やるもことごとく、悲惨な内容
誰も足をとめてくれず、逆に「うるさい!」と叱られたりトラウマに
なりつつありました。

ある日島田の誘いで横浜に行くと、彼は西口の高島屋の入り口のあたりに
自分の場所を決めて、定期的に路上ライブをしていて、既に常連のお客さんも何人かいました。

一緒にやろうと言われていたので
ギターを持っていき、初めは数曲だけの筈が、20人くらいの聴衆が集まりだしたので、お互い調子に乗り
たくさん二人で歌いました。

まさにすっかり味をしめた僕と島田はデュオを組むことにして、毎週
横浜西口で路上ライブする日々がはじまりました。

一年弱、路上ライブ、当時の横浜CLUB24、渋谷のGIGANTICなどで
ライブもやりました。

1994年の夏に、GIGANTICの中のレコーディングスタジオで音源を
作ることになりましたが、この頃には、既に二人とも、バンド志向が
顕著になってきていました。

まるで民主党のような寄り合い所帯
だったこのデュオは、
表面的には、幼なじみのソウルメイトが組んだように、見られていたかもしれないし、見せようとしていたのでした。
このレコーディングで完全に崩壊するに至ります。そもそも二人ともフロントマンとして音楽を作りたい者同士、しかも音楽活動の方向性、ポリシーも
初めから水と油みたいな相性の悪さが、僕と島田との間にはありましたから、それがこのレコーディングの最終段階のミックスダウンの時点で
爆発したわけです。
それでも何とか大人の対応で、活動を年末まで引っ張ったのは、島田でした。少し申し訳ない気持ちは未だにあります。

下北沢、高円寺を中心に
活動していた先輩のバンド
「Huckleberries」が演奏のバックを
アレンジまで含め引き受けてくれて
なかなか、勢いのある仕上がりに
なったと思います。Huckleberriesが
得意としたフォーキーなロックのタッチと、島田大作的ロマンティシズムで彩られた世界観は、僕がエゴイズムを暴発させなければ、あと数年内にはフルアルバムの別の作品までこぎつけたのかもしれませんが
24歳の若者に、その我慢は無理でした。

その後、島田大作は2000年代に
The Benvenutsというバンドで
今度は本当にソウルメイツと呼べる
仲間と活動を繰り広げ、好評を得ていたようです。僕は福岡に戻り袂を分かちました。それが互いのために
いい決断だったなと今では思います。





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