diary2

2014年1月26日(日)
【失われた色彩】
失われた色彩


おととい
北九州市立美術館に
柳瀬正夢の回顧展を
観にいきました。

そもそも
知りませんでした。
展覧会のチラシを観て
知りました。

略歴をウィキペディアなどで
検索すると
柳瀬正夢は
画家であり、装丁家であり
グラフィックデザイナーであり
漫画家であり
文筆家であり、俳人であり
また政治活動家でもありました。

多才な人なんだなと
単純に思いながら

そしてまた大正モダニズムの
先駆的な芸術家というような
定義をされている点が
非常にかっこよく感じて
作品に触れてみようと
思いました。

行ってみたら

印象は全く違いました。
というより
私は柳瀬の生きた時代が
柳瀬に
多才な活動を強いた

と思いました。

大正モダニズムも
彼の場合は
プロレタリア アートですから
非常に政治色が濃いです。

そして1923年の関東大震災。

柳瀬正夢は自ら
自身の誕生は
ほんとは関東大震災の日である

と書いたほどの、それ以後の
人生観を決定づける出来事
であったようです。

彼は以後
左翼芸術家として
陸軍を中心とした軍事勢力が
国家を牛耳る大日本帝国の
体制に、庶民、労働者の、
飢饉に悩む小作農民の
厳しい生活を放置し

軍備増強と海外進出に
ばかり躍起になる
政府に
激しい怒りを持って
諷刺漫画などの分野で
活躍し、名声を得ます。


彼が真に認められ
たくさんの芸術家たちとの
交流を盛んにしたのは
正にこの昭和初期の
時代であったと思いますが


私は最晩年までの作品を
順に観て、やはり
彼の作品で一番心から
素晴らしいと感じたのは

彼がまだ10代のころ
描いていた
水彩画、油彩画のほうでした。

その頃の彼の作品
北九州の門司や皿倉山
熊本の阿蘇、天草
大分の佐賀関の景色を

素晴らしい色彩感覚で
カンヴァスに定着させた
作品は全く今観ても
古臭くなく

故郷の、自分の生活の町の
近隣の自然の
光、色、線を、
独得の明るい色彩で
描き出した才能に
ほんとうに
感動しました。

しかしだからこそ
だんだん観ていくのが
苦しくなりました。

関東大震災やプロレタリアアートへ接近を契機に
以後彼の作品からは
若い時代の鮮やかな
色彩が終生蘇ることは
なかったと思いました。

描けなくなったのでは
ないでしょう。
描こうという気持ちが
がもはや
なくなった…


つまりそれは戦争を前にし、やがて全面戦争に突入した時代が
鮮やかな色彩すら
許さない
厳しい時代であるという
認識を柳瀬正夢は
持っていたと
思います。

そして
それが切なく悲しいのでした。






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