diary2

2018年5月7日(月)
【ライブレポート(その前史)】
ライブレポート
「トンタの森で会いましょう第5回」

1(その前史)


散々失敗を繰り返してきました。
散々跡を濁してきました。

でなければある土地で
25年もライブができなかったなんてことにはなりません。

失敗を繰り返し、跡を濁して
当時繋がりがあった人と離れてしまいました。ほぼ全てです。
再会した人は僅か。

初ライブハウス出演から25年なら
25周年ということかと言うと
1999〜2005の
引きこもり的
活動空白の時間がありますので
なりません。

ですから私の現在の
音楽活動は2006年1月の
天神「graf」の「public address」出演から始まったということが実際なんだと思います。

オカムラヒサシと名乗っていました。
今年1月の半ばより
「岡村釦」と名乗るようになりました。

5月4日に開催した
「トンタの森で会いましょう第5回」

あれだけ跡を濁し
人間関係を構築できずに
いた私と

「オカムラヒサシ」時代に出会い
ずっと仲良くしてくださったみなさんと
イベントを一緒に実現できるように
なった、そのことが
私には何よりありがたい気持ちがして
います。

「トンタの森で会いましょう」
に至るまでには
まず2008年から始めた
「6・19」という福岡大空襲の日の
ライブコンサートが関係してきます。

2007年に
たまたま近所の買い物帰りに福岡市南区の
「アミカス」という
文化施設で開かれていた
「福岡大空襲と平和展」を観て
たいへん感銘を受けた後に

「平和展」のスタッフの皆さんが
ほぼ戦時中を知る世代の方々であることが気になりました、もしその方々が
展示を引退してしまったら
この歴史は
誰が語り継ぐんだろう?
そう思いました。

でも私には平和運動するつもりも
ノウハウもない。

音楽活動はぼちぼち再開していました。
若い頃から、楽曲のテーマとして
戦争と平和の問題には
興味があったので、
自分の音楽活動とリンクできたら
有り、かなぁ?
でも周りに誰も協力者が
見当たらないなぁ…
やっぱり無理かなぁ…

というスタートラインだったのです。

そんな時ふと
当時レギュラー出演させていただいてた
「博多エキマエ音舗」というライブハウスで

田代裕之くんがボーカル/ベースを
務めるロックンロールバンド
「GGモッサイ雀」のライブを観て
「月は見ていた」という
楽曲に出会いました。

社会的なテーマを歌詞として取り入れた
ミュージシャンは
2008年の博多エキマエ音舗界隈には
ほぼ0という感じの時代状況でしたので

田代裕之くんがもし協力してくれたら
ライブイベントとして
やれるかもしれない…
そんな考えを持ちました。

今考えると、ちょっと打算的ですね…

でもラッキーにも
田代裕之くんがオファーを
受けてくれて
イベント「6・19」を立ち上げました。

つまりこれが
「トンタの森で会いましょう 第5回」へ
続く道のりのスタートであります。






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