diary2

2022年8月5日(金)
【8/3(その2)】
まずは若松区の北九州平和資料館へ
「中川ストリート」という名の通りを横切って、本町2丁目、僕の父の地元でもあり幼時にかすかな記憶のあるアーケード街の手前あたりにありました。
一階は何か地元の信用金庫みたいな店舗(すみません、じっくり見なかったので)ですが、すでに入り口付近に、階段上がると平和資料館という案内があります。階段上がると壁面に展示が始まっています。北九州市は戦後5つの市が合併してできたので、戦時中のそれぞれ別の市であったころ、どこにどんな戦跡があり、どんな戦争の出来事があったかをマップにしてあります。

文章はやさしい言葉を選んであるので
おそらく小学生高学年くらいの子供たちに見てもらってもわかるような書き方をされています。誰に伝えるために作られているのか、その想いも感じられます。

しかし現在公的な博物館が専門の業者のIT技術を使って、デジタルなビジュアルを駆使した展示をするのに対して、こちらは当然人の手を使っての、手づくり感満載です。

そして最初の展示から満州事変、日中戦争、太平洋戦争と続いた15年の戦争の大きな写真いり年表に至るまで、入り口に至るまでに

既に、最近の博物館の戦争展示で忌避されていること、

逆に言えば、かつては必ずそれを観ることを避けて通れなかったもの、

それは観せる側からも
必ずそのような物を観せなくしてどうして戦争の現実を展示すると言えるかという強い決意の元にあった、

戦争で傷ついた人々の傷ましい姿の写真です。

長崎の原爆資料館でも、大刀洗平和祈念館でも、最近ではこのような写真は極力減らされています。内地ではおそらくどこも同じ傾向ではないでしょうか。唯一沖縄の資料館には、今でも国内でただ一つ猛烈な地上戦の戦場になった沖縄本島の人々がどんな目に遭ったかがわかる写真が展示されていました。

ここにも現在沖縄とそれ以外の地域の日本人との戦争に対する意識を形作る教育の変化を読み取ることができました

だから今の教育を受けた人たち、それはつまり今の教育方針を決めている立場にある僕くらいの年代から下の日本人は

おそらくこの生々しい写真に、生理的な拒否反応を示す人が多いことは予想できます。本来はその写真を観たショックの意味をこそ、教師や大人たちが、子どもたちの心をケアしながらも、しっかりと逃げずに伝えること、それが戦争の記憶の継承ではないかと思うのですが…。


北九州平和資料館は(そしてまだ訪れていませんが、同じように閉館の危機にある長崎西坂の「岡まさはる記念長崎平和資料館」など)その現在の戦争展示、平和教育のあり方に、きちんと戦争の悲惨と向き合うこと無しに、平和を考えることはできない、という極めてまっとうな問題提起をしていることが、既に入り口に入る前から明確にわかりました。

このような視点の平和資料館が、そして平和教育が今日本から失われようとしているわけです。

(続きます)


8/5^07:08
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