diary2

2022年10月18日(火)
【10/18】
レコーディング、してます。
でも僕自身のではないです。バンドのでもなく、他の人のバッキングとして。
キーボードを弾くんですが、まだセッションは終わってないので、果たしてちゃんと使える演奏をできるのか、どきどきしています。

最近知り合いの人たちのレコーディングされた作品を立て続けに聴くことができて、改めて今自分がやってるライブで自作を弾き語ることと、レコーディングした作品にすることの、大きな違いを感じています。

レコーディング、録音、ということを僕自身は現在は「記録」だと考えています。あくまでも僕自身のライブや楽曲についてですが。

かつては違いました。少なくとも2009年にCD-Rに新しくできた曲のスタジオ練習テイクをシンプルに並べるやり方に行き着くまでは。

ライブではラフな形でしか表現できない楽曲を、なるべく緻密に、丁寧に、いろいろギミックも使って、繰り返し聴いてもらえるような、家の中や、持ち歩いているデバイスで楽しんでもらえるような。そんなものが出来たらいいのに、と思いながら作ってみては失敗したり挫折したりして、妥協点を見つけてなんとなく自信を失ったものを作り続けました。

レコーディングには知識も技術も、なにより安定した実力が問われる、というか、録音される媒体に、自分のありのままが不安定さや拙さが如実に記録されてしまうのです。
そしてグランドデザインがあるかないか、それが出来上がって聴いてみたときに、はっきりとわかってしまいます。自分には自分が作りたい音楽作品すら、構想通りに実現する構成力もないし、創造性もセンスも無い、そう感じてばかりでした。

2009年から徐々に、僕にとって
自分の音楽とは、ライブの現場で、やっているもの、そのものを指すのだ、と思うようになりました。
それはいつでも再現できる僕の力が
できる限りのこと、いびつで、洗練とは掛け離れています。

でもそれでいい、と思えるようになると、今まで引きずっていた失敗経験や劣等感から解放されて、次へ次へと向かう気持ちになってきました。

2010年以後、音源というか作品集を
すべて弾き語りでほぼ一人で、ライブ録音したもので、しかも音響の良い悪い場所を問わず、録音できる時間、場所でやったものばかりで作ってきました。
これはもう音楽作品とは呼べる代物ではありません。
「記録」だなあと思います。

そんな自分の暗中模索を振り返りつつ、知り合いの音楽人たちの作品を
聴くと、彼らが僕が挫折したさらに先の何かに手を届かせているのを感じます。音楽を作ることは難しく無いですし、僕は誰でもできることだと思うんです。問題は何を音楽だとするか、そのジャッジをすることではないかと。

レコーディング、という行為には
いつも僕にそういうことを考えさせてくれます。


10/18^13:30
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