diary2

2020年6月27日(土)
【6・19振り返りB】
6・19振り返りB

僕は3番目に演らせてもらいました。
ふたつのセットを考えて
どちらにするか当日の昼まで
迷ってました。

ボツにしたのは
まさに「6・19の物語」というような
@6月19日
Aシャッター
というセットでした。

@はICレコーダーでは11:42と書いてあるので、かなり長くなりました。
テンポを落としてどよーんとした感じのアレンジ。
その理由はずっと頭の中で
ニールヤングとクレイジーホースの
「コルテス・ザ・キラー」という曲が
流れていました。

大義を掲げて
先住民族が暮らすアメリカ大陸に現れた白人たちが殺戮に殺戮を重ねて
文化を根こそぎにして
疫病を持ち込んで
全てを奪っていく姿を描いた曲。

「彼は踊りながら海を越えてやってきた」という歌詞で始まります。
それが正に海の向こうの空から
大群になってやってきたアメリカ軍の
爆撃機のイメージと重なりました。
彼らは僕たちの住む街を
焼きつくす、殺しつくす命令を受けてやってきたので。

Aは後半の歌詞をかなり変えて
十五銀行の地下室の跡地に何かしら
表示をして後世に残るものにするべきではという気持ちを加えました。


でも演りませんでした。
迷ったんですが
他の皆さんが
みんな空襲について戦争について
踏み込んだ歌詞を(Kei Kumagawaはすこし角度を変えた表現の仕方をしていたように思いますが)
書いてセットを組むように聞いていたので

それが7組続いてしまうのは
逆に歌詞のインパクトが薄くなってしまうような気がして

全く違うことについての曲を
新しい曲を並べてみました。


今、特に5月の終わりくらいから
すこし今までと違うモードで
曲ができるようになってきて
その流れの中に
居るような気がします。

あまり曲の意味するところを
意識しないで
発想のままに作る。
勿論新型コロナのことが
影響したり
世の中の流れへの違和感も
あるかもしれないけど
様々に入り混じる想念を
未整理のままに
歌詞にしています。
いまはそれが
自分にしっくりくるので。

(セットリスト)
@深夜映画
A巻き戻し
B炭鉱のマリス

@は曲の構成と「深夜映画」というフレーズだけ先にできた曲で
歌詞は若い頃のこと、誰かが好きになってしまったけど相手には別の相手がいる状態、なのに諦めきれないような執着心、もしくは恋人が他の誰かに心移りしているのではないかという強迫観念にとりつかれたような夜更けを思い出しながら書きました。

ちなみに僕ん家にテレビがあったのは
もう遥か昔ですが、そのころはまだ深夜帯に古い映画の再放映がありました。

Aは
「物事をやり直そう、としても結果的に、大して変わらない繰り返しに終わったばい」
ということが言いたい曲なのかな?

曲が何を意味するかは
作った本人も、
わからない、無意識のまま
作っている部分がありまして、
謎の部分があるほど
愛着が湧いて、やがて
じわじわと
気づきが訪れる、
そんな風に思います。

Bは
炭鉱のマリス、片仮名で書いたらタンコーノマリス
ですけども
「タウンコールドマリス(悪意という名の街」というThe Jamの曲のカバーを
日本語で作ると、どうかなあ、と
考えていたとき

もうカバーより自分の曲作りたいな、と気持ちが変わりまして(笑)

とりあえずそのまま放置してました。

すると少し前に
「政府が、戦前から戦後へかけての時期、長崎の軍艦島の炭鉱では、朝鮮民族への差別はなかった、という見解を示した」というニュースをネットで見聞きして

長崎佐賀の松浦半島や筑豊の炭鉱町で暮らしていた自分の母や祖母との対話を思い出し
これは今の日本政府お得意の
歴史修正主義の、史実の歪曲だな、と
腹が立ってきて

一気に書き上げたものです。

母は炭鉱町には必ずと言っていいほど
朝鮮人部落があり、祖母からは
決して近づかないように、と言われていたと僕に話してくれたことがありました。やはり濃厚な朝鮮人差別、蔑視の空気は漂っていたと。

戦後になっても母や祖母の
考え方には、少しそれが残っていて
差別を否定し克服しようとする
時代に生まれて
教育を受けた僕とは
すれ違うこともありました。

ことわっておかねばならないのは
二人とも鬼籍に入ってしまったので、
故人の人格をはずかしめてはいけないということ。
母も祖母も愛情が深い人でしたし
家族や友人を大切にした人でした。
むしろ僕自身より
周りの人達に親しみを与える
温かなおもいやりのある人達でした。
息子だとしても、そこは
尊重しなきゃならないことですよね。

しかしながら彼女たちが
生きてきた時代の価値観に
染まっていた部分があったかもしれないし、それは僕もそうであることに変わりはない。
戦前は軍国主義、戦後に民主主義という転換があって
その影響を受けて
人格形成をしてきたわけですから。

僕自身、差別とは生活環境や
利害関係と密につながっていて
観念や理想論では
語りきれない
生々しい部分があると思うように
なりました。
隣り合う民族間の感情的な軋轢が
差別に転化してしまう場合もあり

自分は朝鮮人差別とは無縁な
人権感覚を持った人間だと断言する事も躊躇します。

しかし理想は掲げるもの
困難でもそれに近づくことを
めざすためのもの

そんな風に思います。

常に自分自身の価値観や
言動はどうか
尊厳を傷つけたり蔑視を
していないか
向き合うことから
逃げてはいけない

そして歴史修正主義には
ずっと抗議の声を上げ続けなければならないと思うのです。






6/27^08:43
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