diary2

2020年6月29日(月)
【6・19振り返りC】
6・19振り返りC

Kei Kumagawa

そして父になる、という映画もある(観てないけどかなりシリアスそうである)
が、親になる、ということは人間にとって極めて大きなエポックだと思う。

その心境は経験した人にしかわからないという点において他に同じ類の出来事を挙げることが難しい。

僕は49歳になる今まで、ずっと独身で
未婚の父親になることも
養子を迎えることもなかった。

僕は独身時代のKeiくんを知らない。
同じくらい長い年月音楽生活をしてきただろうと思うが。

勿論最初ライブを観たときに
いきなり「俺は父親です!」と言ってから歌い出したわけじゃないから

そういうバックグラウンドの
情報抜きで
彼の強烈に個性的な音楽表現に触れ、魅了されたことは予めことわっておく。

この文章は
僕の勝手な解釈で書いているから
もし本人が目にしているなら
許してほしいが

「愛と、喪失の痛みと、生存することのよろこびと苦しみ、その救いと裏切りのメタファーとしてのセックス」が、Kei Kumagawaの歌いたいことだと僕は思う。

全ての人が当てはまるだろ?
そう言えるかもしれない。
だが一貫して表現し続けている人は
なかなかいない。

それが父親になることでどう変わってきたのか?


…そんなこと普段の暮らしぶりを知らない
僕にわかるわけない!
だから結論なんか出せるわけがない
(笑)
すみません。



だけど歌を聴いている限り
彼は大人が子供に言い聞かせるようには歌わないなあと思う。

先に生まれてきた人間として
「愛と、喪失の痛み、と生存することのよろこびと苦しみ、救いと裏切りのメタファーとしてのセックス」
の荒野に生まれてしまった次なる人たちへ、「俺はこうやって生きて来た、おまえらもがんばれ」と言ってるみたいに聞こえる。

だから、僕のふたつの主催のイベント「トンタの森で会いましょう」(頓田の森爆死事件)、「6・19」(福岡大空襲)に、出演するときも
戦争を善悪の観点からどう断罪するか?ではなくて、先程のテーマの中において、捉えていると思う。

現実問題、彼は幼い子たちを食べさせて、育て、守らなければならないのだから、戦争なんか迷惑でしかないと思う、そしてそこに加えて
2020年は「新型コロナウィルスのパンデミック」がやって来た。
さらに困難で迷惑な事態が来た。

さあどうするのか、幼子たちにどう声をかけるのか、今回のイベントで彼の歌の背後から伝わってきたのは、そういった極めてシンプルで根本的な態度だった。取り組む課題ははっきりしているのだ。

親になるということは、それほどまでに現実的であり、観念的に遊んでいる暇なんかないものなのだなと
思わされた。

蛇足だが、僕自身は多分もう親にはならないで死ぬだろう。
いままでそれを避けて来たのは
「なれる、なれない」の問題だったし、
「なりたい、なりたくない」の問題でもあった。

「なれない」「なりたくない」のは
きっと僕は「自分の子供を守ることができないだろう、育てることができないだろう」という
「逃げ」の気持ちがあったことは
恥ずかしながら、認めざるをえない。

だからこそ親である人々は
僕にとってずっと崇高な存在で
同時に後ろめたさを感じないでは
いられない人々でもある。


6/29^12:21
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