2020年7月2日(木) 【6・19振り返りD】 6・19振り返りD 次は田代裕之さん。 長くなりそうですがご容赦を。 今回の田代くんのライブに直接関わらないけど、背景には大きな意味を持つことについても触れつつ。 13年前に「6・19」を立ち上げるときまわりのアマチュアミュージシャンの中にこのテーマに付き合ってくれそうな人はいなかった。 田代くんも例外ではなかった。 当時僕のことは、なんとなく変わったことする人だなって感じで見てたんじゃないだろうか。 当時の田代くんが率いていたバンドはもっと「青春とロックンロール」な音楽性だった。 でも彼の作る歌の中から聞こえてくる 「沖縄」が きっとこのテーマに引っかかってくれるんじゃないかと思った。それは 「月は見ていた」という曲に顕著だった。 内地の人間からすると 沖縄の人たちの表明する 「戦争」への危機感、問題意識の高さは ちょっと驚くばかりだ。 内地では僕らのような中高年ですら 戦争の悲惨さを語り継ぐ重要性なんて ほとんど感じてなくて むしろ同世代の勘違いした人たちが 「過去の戦争を賛美したり、戦争犯罪を正当化したり」していて 恥ずかしいことこの上ない。 しかし沖縄の若い世代の発言の中にも 戦争を忘れてはいけないという内容を 見てハッとさせられる。 田代くんは石垣島の出身で 沖縄本島のような苛烈な地上戦 はなかったのだそうだ。 彼の島についての歌 戦争についての歌は 聴いたことがあるけど 「石垣島と戦争」についての 曲というのは聴いたことがない。 僕は福岡の空襲をテーマにする事から あちこちの戦争の歴史について「知ってしまう」ことが増えた。関連する事項が次から次へと現れてくる。なぜなら日本各地の空襲の被害と原爆投下は、アメリカ軍にとっては、一連の攻略作戦だったからだ。 沖縄本島の地上戦のこと、そして 八重山諸島にも日本軍は展開していたこと、そして「戦争マラリア」という 「戦争がもたらした」もっとはっきりと書くならば「日本軍の命令が引き起こしたパンデミック」があったことを知った。 そして日々のニュースでは 与那国島や石垣島に自衛隊のレーダー基地、ミサイル基地、弾薬庫、などが 住民の反対派を抑え込みながら どんどん進められていく現状。 田代くんはどう感じているのかな? と思った。 今年の「6・19」で「戦争マラリア」について取り上げてみない?と提案してみようと思った。 本来ライブはアーティスト本人の考え方を自由に表現できる場であるべき。 「6・19」のようにベースに空襲という重い史実があるイベントならば 特に「アーティストの表現内容の自由 」をより大事にする姿勢が大切だと思う。 (過去回においては、イベントの趣旨に、疑問を投げかけるような主張の表現に対して、どう対応するか悩ましいこともあったけど) 今まではあまり踏み込んだ提案は控えてきたつもりだけど、13年一緒にイベントを続けてきてくれた田代くんにならば、納得してもらえるんじゃないかという思いもあった。 仕事も忙しい中で イベントに合わせて 新しい曲を作ってくれた 田代くんには 頭が下がる。 そして新型コロナ対策で 短くしてもらったセットの中で 三曲を選んでくれたのだけど 選曲的に すごく考え抜かれていたと感じた。 「あと何回」(…争いを繰り返すのか) というリフレインが強烈な「6・19」 田代ロック(独自のスタイルとして確立してると思う)の真骨頂の「フラット」 ではギターでお邪魔させてもらった。 (田代くん発案の「生リモートセッション」) 沖縄音階やお囃子溢れるロックンロールで、こういう曲を田代くんが演奏する時の会場の雰囲気、温度が上がる感じは、常々sunnyさんが指摘してくれている「田代くんがこのイベントを支えている」という意味を特に思う瞬間だ。 そこからの「ワスルナウタ」。 新しい曲。「戦争マラリア」について 考えて作ってくれた曲。 八重山諸島に波照間島という島があり そこに「ワスルナイシ」という石碑がある。 波照間島の住民の人たちは 隣の西表島の「マラリア有病地」に 強制的に移住させられマラリアに感染し500人以上が亡くなったそうで 当時波照間島の国民学校の校長だった識名氏が遺した石碑。 戦争マラリアを忘れるな、という思いが込められているそうだ。 歌のタイトルはそれにちなんだもの。 波照間島や周辺の鳩間島、竹富島、黒島、新城島、などの島民は西表島のマラリア有病地へ、そして石垣島の住民で於茂登岳麓の有病地へ強制的に移住させられ、たくさんの人がマラリアに感染して亡くなった。 その数は3600人にのぼる。 田代くんの曲は 戦争がなければマラリアの悲劇が 故郷を苦しめる事もなかったと 戦争をもう繰り返してはいけないと 忘れないでいようと訴えていたように思う。 僕はそれに加えて なぜこの悲劇が起こったのか それを調べなければいけないと思った。 八重山諸島にマラリア有病地があることは島民にも日本軍にも、そして 侵略してきたアメリカ軍にも 戦争の前から既に知られていた事実であった。 島民を有病地に疎開させると マラリアの集団感染が起きることは明らかであったはずだが、なぜ 日本軍は島民の疎開を強制したのか。 それは当時日本軍を指揮していた大本営とよばれる中央司令部で既に沖縄戦の前に策定されていた、八重山諸島や離島における作戦計画に基づいてのものだったそうだ。 僕はこの辺りの事情を、大矢英代氏の「沖縄「戦争マラリア」〜強制集団疎開死3600人の真相に迫る」あけび書房。という2020年2月、つい最近刊行された本によって知ることができた。 大矢氏は元琉球朝日放送記者の、フリージャーナリストで、2018年のドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(文化庁映画賞受賞作品)の共同監督でもある。氏は1987年千葉県生まれだから、僕や田代くんより更に若い世代ながら、「戦争マラリア」問題について現在最も深い知見を持つ人だ。 沖縄本島にアメリカ軍が上陸し激しい地上戦が始まるころ、石垣島、波照間島、西表島、などには既に日本軍が駐屯し、沖縄戦が八重山諸島まで波及する場合に備えていた。 日本軍にとって沖縄戦の目的は 一日でも長く、日本本土へのアメリカ軍の上陸を先延ばしにするということであり、そのためには、もし沖縄本島が陥落したなら、八重山諸島にアメリカ軍が基地や飛行場を建設し、本土攻撃をする可能性があった。 日本軍は島民を戦力として協力させるために10代の少年少女からなる「護郷隊」「挺身隊」に強制的に入隊させ、 アメリカ軍とのゲリラ戦に備えるため 陸軍のスパイ養成学校「中野学校」出身者を工作員として送り込んだ。彼らは偽名を使い今の「非常勤の教職員」という形で島に現れた。 しかも少年少女たちには手榴弾と短刀が渡され、万が一アメリカ軍に捕まるようならば、自決するように命じられたという。 次にマラリアの無病地である島に、アメリカ軍が上陸する可能性が高いことから、残る主に女性、子供、老人などの島民を疎開させ、軍の管理下に置いて監視することにした。それがマラリア有病地であろうと構わずに。 島民がアメリカ軍に捕まって日本軍の情報を漏らすスパイになることを日本軍が恐れたからだった。 本土攻撃を先延ばしにする、大本営の作戦遂行のためには、八重山の島民の犠牲は、致し方ないとの判断があった。しかし戦後実際に指導的な役割をした元日本軍関係者は、それをうやむやにしたまま、戦争マラリアを引き起こし三千人以上が亡くなった責任を認めることはなかった。 しかし大矢氏は、生存者たちの証言などから、その事実関係をこのように少しずつ10年間の取材によって粘り強く明らかにした。 それは単に過去の悲惨な戦争を記録するためではない。 現在「島を豊かにする」「国策として国境を守る」という名目で 八重山諸島、南西諸島に次々と自衛隊基地が増設され、離島防衛計画に島民たちが否応なく巻き込まれる事態が進んでいる。僕たちは知らなくても現行の「自衛隊法」に基づいて、それは既に着々と進んでいる。 ここから少し長いが引用する。 (「新日米ガイドライン」のもとで、南西諸島の島々を戦場とする作戦が今再び浮上したなかで、戦争マラリアを10年間にわたり取材してきた私は、戦争マラリアの歴史が示す「国家による民衆の犠牲」が、またいつでも、それこそ今この瞬間にも、起きる気がしてならなかった。」 さらに大矢氏はこう続けている。 「(中略) 戦争を知らない時代を生きる私たちは、過去からしか戦争を学ぶことができない。戦争を学ぶこと。それは単なる悲劇に涙することでも、「今の日本は平和でいい」と安易に結論づけることでもない。その犠牲を生んだシステム、それを生み出した国家や軍隊の本質を学ぶこと。これがどう今現在の社会に繋がっているのかを見抜くこと)「沖縄戦争マラリア」206ページより。 この最後の一文は まさに僕や田代くんを始め、述べ50組以上の福岡のアマチュアミュージシャンたちが13年にわたり、取り組んできた「6・19」の 真の目的でもあると思う。 田代くんが「ワスルナウタ」を作ってくれたこと、今年のイベントの 一番大きい出来事だと思う。ありがとう。 7/2^14:16 [コメントする] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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