diary2

2021年9月9日(木)
【9/9(その2)】


「ライブは延期」これが2021年の我が毎日です。


人流を制限して、感染者数を減らして解除する、そしてまた増えたら制限する。それが菅政権のコロナ対策でした。
ライブ業界も(ライブ業界ってへんな言い方ですが、音楽業界というのも広過ぎるし、地方でライブを開催するのはライブハウスという店舗形態だけではないので…)
自粛要請の合間に短期間営業再開しては、ひと月ほどで再び自粛させられる、その繰り返しです。経営者の方々はきっとかなり苛々しておられるだろうと思います。

国がそういう姿勢であるから、地方自治体もそれに右に倣えしてしまう。
福岡県や市の休業要請への協力金の申請基準などを見ていると、業界内を協力的な店と非協力的な店に分断する施策ではないかとも感じます。線を引かずにみんなを救おうとする姿勢が見えません。
根本にはコロナ禍を軽視している感覚があるような気がします。潰れる人は自己責任。それが一番感じられたのが政府与党、そして菅首相です。


(僕が支持する野党が主張するように) 2020年の秋から冬の時点で制限を緩めない代わりに半年間、1年間、完全に休業してもその間の補償はきちんとするということを政府がやったなら、飲食業界もライブ業界もここまで振り回されなかったのではないかと思います。その間に病床の増設や、体制の整備、ワクチン接種を進めることも可能だったのではないかと。そしてもっと目に見えて感染爆発も抑えられたのではないかと思います。

それらを阻害する大きな要因だったのが東京オリンピック、パラリンピックだったのだろうと思います。
菅首相はオリパラ中止を避けるために、コロナをなるべく大げさにしたくなかったんだろうと想像しています。

しかし菅にせよ麻生にせよ、財務省にせよ、財政支出して、直接補償は絶対やらないと決めていたみたいなので、「コロナ対策と経済活動の再開を両立させる」みたいな、中途半端なやり方で、責任は自己責任で、みたいなことになり廃業したり、今でも休まざるをえない事業者がたくさんいる。(にもかかわらず麻生はもうコロナを収束させたと発言したみたいですね。ほんとあの人おかしいですね。)

生業として音楽をやっている人々の、いわゆるこの国の音楽業界の動きに目をやれば、このような閉塞感を打破しようと動き出す人が現れてくる。それは当然かもしれません。お上を頼らず自分達でなんとかするしかない、そりゃそうでしょう。

でもまだコロナ禍であることは間違いない。休業したり中止したりしてきたコンサートやイベントやフェスを再開するとしたら、当然クラスターの恐れもある、現状を悪化させる危険もある。細心の注意が必要になる。
懸念の声が上がったり、炎上みたいになるのも多少は仕方ないかもしれないと思います。

でもフェス主催者も関係自治体と協力して感染防止に取り組んだり、ガイドラインを策定したり、参加者の方々も、検査をきちんと受けたりしています。大半はそういう努力を真剣に取り組んで
少しずつ再開へ向かおうとする人々もいる。

しかしその一方で
「コロナは陰謀論」だみたいなことに
考え方がなっている人々もいる。ロックダウンやワクチンや中にはマスクさえ不要みたいな考え方を持ちながら、業界で発言力を持つ人々が、いつまでもコロナコロナと怖がってどうする、元気な人たちは元どおり楽しまなけりゃだめだ、なんて主張をする。これは世界的にも同じのようで、アーティストとして憧れるヴァン ・モリソンやエリック・クラプトンさえこういう「ロックダウンやめろ、ワクチン強制やめろ」という主張をし、楽曲を発表したり、活動できなくなっているミュージシャンへの基金を立ち上げたりしています。
一方でこれまた憧れのストーンズのミック・ジャガーやスティングやたくさんのアーティストが、コロナ陰謀論者達を強く批判しています。コロナをめくってどう行動するべきか?ロックンロールの世界も分断され始めています。


もちろんヴァン やクラプトンが考えているのは、エンタテインメントの復活の問題だけではなく、このままだと業界や音楽文化が崩壊しかねないから、アーティストやスタッフの将来を守っていかねば、という切実な使命感もあるんでしょう。すごいと思います。
でも賛同できない部分があります。

僕は生業としては音楽をしていません。生計は雇用労働者としてちがう業種の企業で働いているので、そういうプロの音楽関係者に意見はすることはできないです。でも果たしてそれでいいのかという意見を持つ部分はあります。

個人的には、コロナ禍というのは、世界規模の滅多にない自然災害だと思います。20世紀初頭のインフルエンザ(スペイン風邪というヘイトなネーミングは嫌いです)や、あるいは二度の世界大戦と同じように人災でもあります。

歴史を調べると、当時全ての業界が大打撃を受け、再開して立ち直るのに数年が(中にはもっと長い年月が)かかったわけです。その意味ではコロナはあのインフルエンザより更に深刻で、むしろ世界大戦後の、敗戦国の戦後の状況に近いのかもしれません。戦勝国によっては深刻な飢餓や貧困が続いたりしました。特定の業界だけが打撃を受けているというよりほぼ全人類の危機です。

このコロナ禍からも、元どおりに立ち直るには数年がかかってもおかしくないように思います。音楽業界は一年、活動ができない、ということは受け入れ難い状況かもしれませんが。

そして立ち直りに着手する以前にまずやるべきことは
「コロナ禍を収束させる」ことを全人類でやるしかないんじゃないかと思うんです。収束と経済活動を同時にやる、という方法は失敗を繰り返してきているような気がします。感染者が抑えられず、新しい変異種が増えてきました。

日本においては、早く収束することを可能にするために政府が大きな財政出動をして、休業している業界をすべてしっかり補償をする必要がある。しっかり補償しようとする新しい政府に変えるべきだと思います。
そういう形で徹底したコロナの封じ込めを地球規模でやることが、
結果的には、元どおりに近い形での再開への早道なのではないかと。

でも政権交代や、政府による業界を問わずすべての人へ生活の補償など、現実に叶わなくても、それでもまだまだコロナ対策は各自継続するしかない…
だとすれば、どうするべきか…

僕は自分の周囲のすべての人にある一定の配慮や同調をしながら、自分自身の責任で方針を決めて行動すること、かなと思います。だから人に強いられて、外出や活動を自粛する、んじゃなく、自分で必要だと思うから、もう1年半こんな生活スタイルを続けていますが、我慢できます。仕方ないからします。コロナになるほうが、それを誰かにうつすほうが、まだ怖いと感じます。

もう我慢の限界だから、「どこでもドア」で、コロナの終わった世界に、今日から移動しよう!
としても不可能ですよね。

それと僕は
自分がライブしたり、アマチュア音楽活動ができたのは、あくまで地域社会にそういう受け皿が、存在し存続できる時代であったからだと思っています。

もしそういう場所が閉まっている、存続が難しい状況にあるならば、僕の活動もできないのが当然であり、僕がすべきだと思うのは、状況が好転するのをじっくりと待つこと、あるいは、感染症の心配を与えずに活動できる方法を見つけることだと思っています。
実際、映像や録音など、あるいはインターネットなど、自分がいままで苦手で無知で未開拓だった分野に進むことは、考えていかなくちゃと思っています。

だけど、生業としての音楽関係者、地方のライブ業界で働いている人々には
ちがう考えがあったり、早期にリアルな世界の有観客での開催を再開する為に努力するべきという考えもあるでしょうし、大事だと思います。充分理解できます。

僕はまずは当分自分の中で納得できる身の処し方を続けていこうと思います。


9/9^10:40
[コメントする]







w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
++新着日記++