diary2

2023年5月18日(木)
【5/18(「6・19」を止めた理由、序章)】
5/18

いつもなら来月6/19のイベントの告知をしている時期ですが、今年はその「6・19」はありません。
「コロナ禍」でオンライン企画にした一昨年、天神で空襲に被災したの光円寺の非戦法要の中で、ミニライブ形式で行った昨年、と違うのは、今年は無い、のではなくて、僕はもう「6・19」を開催することから離れることにしたということです。

トップページにもその理由については
日記の中で説明させて頂く事を書いていますが、これからなぜ僕がもう
「6・19」を開催しないことにしたのか、を書いていきたいと思います。
しかしながら、おそらく単刀直入にではなく、回りくどい感じで、長々とした文章になることを前もってお断りしておきたいと思います。悪しからずご了承ください。


この「ホムペ」で日記を書き始めたのは2007年ですが、「6・19」をスタートしたのは2008年からです。ですからおそらく2007年から2008年にかけてのどこかで、その理由とか動機について説明していたはずです。
@pepsのホムペでは過去の投稿を
閲覧することができますので、探してみてください。僕自身探してみたのですが、実はきちんとした文章の形で書いたのは、むしろイベントを始めた後に別にコーナーを設け、その冒頭のところに書いています。

イベントを始めて5年目くらいまで、色々な媒体や色んな個人の方に会って、なぜ「6・19」を始めたのかを10回も20回も話したのですが、その記憶がいまでは最初にホムペに書いたように変換されていたみたいです。

このきっかけの話を書いたり、話したりする度に、記憶というものの不思議さを感じます。不思議というか、僕の記憶の収納の仕方の適当さ、片付け下手さ、散らかり具合。

この事と実際に部屋を片付けるのが苦手だという事実とはやはり関連しているのでしょうか、多分そうなのかもしれません。

有名人の話で、よく訊かれる質問には、決まった答えが出来上がってしまい、何百回もリピートしてるうちに、細部が抜けたり、違う日の事が混ざってしまったりしてしまう、という事を聞いたことがあります。

これは有名人でなくても、そうかもしれません。
自分で自発的にこうして思い出してみる場合と、誰かに質問を受けて、思い出してみる場合では、記憶の再生は必ずしも同じではなくて、自分一人だとまっすぐにたどり着く記憶の収納場所に、誰かの質問の答えを考えるときは、他のルートを回り道した後になってしまったりします。とても大事だと自分で感じているポイントなのに、質問者のリアクションが薄いと、自分の感覚が不確かになってきます。
反対に自分ではそれ程重要視してなかった事に質問者がすごく反応してしまうことがあり、それが繰り返してしまうと、なんだか自分でもこっちが大事なのかなあ、と揺らいでしまったりします。

ですからこの「6・19というイベントを始めたきっかけ」の話も、15年間の間に色々な変遷をたどっている可能性があります。

そして正に今日なんですが、この文章を書こうと決めたときに、ふっと思い出したことがあります。
それはおそらくこれまでのきっかけの話には欠落していたエピソードだと思います。欠落してさらに、違う話に転用されていた可能性すらあります。

一旦区切りますが、まずはこの話から読んでみてください。
「6月19日」という曲を作ったのが先か、新日本婦人の会主催の「福岡大空襲と平和展」を観に行ったのが先か、というお話です。


5/18^17:07
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