2023年5月18日(木) 【5/18(「6・19」を止めた理由 その2)】 5/18(その2) 僕の自作曲に「6月19日」という曲があります。僕がこれを作って初めてライブで歌ったのは2006年の天神親不幸通りのライブハウス「graf」の「public address」という企画に出たときの筈です。 2007年だったかもしれません。ほらかなりぶれぶれですね(笑)。 しかし今日思い出したことですが、この「6月19日」の歌詞のアイデアは、実は2000年には既にあったということです。確かこの年は福岡ダイエーホークスという福岡のプロ球団がリーグ連覇をした年です。 僕はその優勝パレードが行われた日に 中洲辺りの明治通りを歩いていました。確かアルバイトの帰り道でした。 ちょうどその時間帯に優勝パレードがあることは知っていたのですが、急に歩いている上空に、記憶に無いくらいたくさんのヘリコプターが飛んできて旋回しながら撮影を始めたんです。確か5機とか6機ではなかった、もう少し多かった筈。10機くらいのイメージです。 この頃は地元球団がリーグ優勝したことが珍しくて福岡のビッグニュースでなんとなく街がお祭りムードになっていたような気がします。 でもいきなり歩いてる上空にヘリコプターが同時にたくさん飛んで来るのは、実はかなりの威圧感というか、プロペラの回転音も爆音で、ちょっと不穏な空気感を生み出していました。 その時僕はふと小学生の頃の平和教育の時間に習った福岡大空襲のことを思い出して、もしこの空にあの時習ったような200機もの爆撃機がやって来たら、ちょっと想像を絶する恐怖だろうと、その光景をできるだけ幻視してみようとしたのでした。 その幻視された光景が 脳内にストックされて 数年後に「6月19日」という曲の歌詞として出来上がったんだと思います。 しかしここまで書いてまた記憶の揺らぎがあるのを自覚します。 このパレードが2000年だったか、前年の初優勝の時だったかが、あいまいです。 しかも僕はこの時の記憶から、もう一つ別の「天神」という曲の歌詞を書いています。 初優勝の時に、東京から福岡に帰ってきたストーリーになっていますが、あれはそうじゃないんです。 実は僕が夜行バスで福岡に帰ってきたのは1998年の12月、年末でした。 ただそれから翌年にかけて、自分の人生はもう大失敗だと度々感じて、天神の雑踏の中で、立ち尽くしたりしたのは本当にあった事なんです。 でも「天神」の歌詞の風景は 本当は「6月19日」を作った日に観た風景だったんです。 また一旦文章を区切りますが、「6月19日」という曲がまず出来たとはいえ、この曲はライブのセットリストで浮いてしまう曲でした。 誰かが平和コンサートを開いていてくれたりすれば、そこで歌ってみたいなと思いました。 福岡市南区西鉄高宮駅前の「男女共同参画センター アミカス」で新日本婦人の会南支部主催の「福岡大空襲と平和展を観たのは時系列ではその後のことになる筈です。 (実はつい最近ある訃報を知りました。 それは「福岡大空襲と平和展」を観た僕に親身になってイベント開催の協力や戦争体験の話をしてくださった新日本婦人の会南支部のKさんという方の訃報でした。偶然昨年アミカスでお会いして、しばらくぶりにお話をさせていただきました。Kさんのご協力無しでは「6・19」を、立ち上げることはもっともっと難しく、諦めていたかもしれません。感謝してもしきれません。Kさんのご冥福を心よりお祈りいたします。) 5/18^17:50 [コメントする] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
w友達に教えるw [編集] 無料ホームページ作成は@peps! |